「.do」は恥ずかしい?

未だにstruts1系のフレームワークで開発したソフトを延命・保守しているんだが、顧客運用環境はクローズドな世界なのでそれ自体が問題になることはまずなくて。

とはいえ、もう何年も前にサポートが切れてるわ、既知の脆弱性もあるわ、それに対する処置が放置されているわで、このフレームワークを使い続けるってのは、個人的には常々恥ずかしいと思ってる。
あるとき、同僚が作ったドキュメントを見て、「.do」が多用されてて、事実だから致し方ないんだが「やっぱりちょっと恥ずかしいですよね」と話をしたときに、それがわからない様子だった。
そう、やっぱり恥ずべき意識は薄れてる。
確かに結局フロントエンドはモダンに作ってるし、バックエンドを変えたところでUI/UXはそう変わらない(プログラムは作り直すにしてもユーザ体験としてはそう変わらない)わけで、そんでもって良くも悪くもstrutsは皆知ってるし大規模開発がしやすいかなと思うけど。
viewは当然jspでカスタムタグに頼らずできるだけネイティブなhtmlとjsで済ますようにしてる。ただ、たまにこの感覚がない頭湧いたやばいやつが、logic:iterate とかで一覧表示を開発したりして、手に負えなくなる。動けばいいっしょみたいな。2010年頃のネットの記事見ながら作ったりして。まじで手に負えない。参考にするソースとか渡してるのに。

たぶん、金融系とか公共系のエンタープライズシステムはまだこの手のアーキテクチャはそれなりに残ってると思うんだよな。大手が牛耳ってて作り変えるような体力もなければお互いの便益もなくて、腫れ物のように奇跡的なバランスで動かしてる。
そのくせ表面的にはDXとかAIとか威勢だけは良くて。

そうやって遠目に見てたけど、結局俺らもその一人だったっていう話。
もう何年も前に、python(Django)で作り変えたいと進言して叩きのめされて終わったことを思い出す。俺は未熟だったが今考えてもあのタイミングだったかなと思う。

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