死を意識するという極上の体験

腫瘍マーカーCA19-9で異常値。その瞬間は落ち込んだが、僕は人生で「くよくよしない」と決めているので、むしろ死を意識するという極上の体験を味わっている。

腫瘍マーカー程度で「死を意識する」だなんて大げさなと言われるかもしれない。たしかにそうかもしれない。しかし、今まで健康で強い体が取り柄だった僕にとっては、人生を否定されたに等しい。だが、こうして死を意識するというのは、控えめにいって極上の体験だ。

確率を語れば、誰しも明日、イヤ今日死ぬかもしれない。頭ではわかっているが、そんなことは考えもしない。だけど今僕は、もし次の検査でガンが見つかった場合と見つからなかった場合の両方のパターンの生き様をシミュレーションしている。

あと何回大切な人と会うことができるのか。あと何度新しいことに挑戦できるのか。そんなことを考えると、メラメラとやる気が出てくる。これが、生きてるって感じがして清々しい。

相変わらず外に出ればお日様は鬱陶しいほど僕を追いかけまわしてくるし、せいぜい数日の余命であるセミたちは全力で大合唱している。お気に入りの檜町公園ではダムダムバスケしている子たちに過去の自分を重ねてノスタルジーを感じ、すれ違う老夫婦に自分の両親を想い重ねるほどの余裕がある。

人生観がメタ的になるというか、世界のやさしさ・美しさか、あるいはその構造や仕組みに気づく。諦めとも違っていて、むしろそこに新しいエネルギーの源泉を感じている。

最近はワインを炭酸水で割るスプリッツァーにハマっていて、今日のそれはさぞかしうまいんだろうな。

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