まるで地球を手術しているかのよう

いつもの通勤路。最近は帰り道にふとスマホを見ると22時を回っていることも多く、そのままつい覗いたスマホをポチポチ触りながら歩き始めるのだが、必ず目に入るのが、道路におっきな穴をあけて工事をしている様子。

道路にこんな大きな穴をあけて、真夜中に煌々と照明を照らし、たくさんの人たちがせっせと働いて、僕はそんな光景にちょっとロマンというか素敵さを感じている。ここを通過するときは歩くスピードを意図的に落とし、おっきく空いた穴をキリンにでもなったつもりで覗き込みながら通り過ぎる。加えて、働いている人たちの役割だったり、見たこともない重機たちの機能を想像しながら、またそれらの連携プレーを堪能しながらここを通り過ぎるのが好きだ。

ここを歩くときだけは、つまらないスマホはさっさと片付ける。デジタル世界なんかよりもよっぽどカラフルで圧倒的・パワフルだ。

ここ数日間は、そんな帰り道にちょっとした楽しみを感じていたのだが、ふと気づいた。朝も同じ道を歩いているのに、朝は道路に穴が空いてないっ!

まじでこれはどういうことなん。あんな大きな穴をあけてガリガリやってるのに、朝同じ道を歩くと昨晩の様子は嘘のよう。子どもの頃に見た絵本で、人間の体内には小人がたくさんいて、その小人たちが、傷ができたら修理したり、食事を消化して栄養を運んだり、宿題に対応したりしてるんだって本を思い出した。朝元気に活動できるのは、夜せっせと体を修復したり、夢を夜通し上映したりする小人のおかげみたいな。

夜と朝のギャップを見ると、まるで地球を手術しているかのよう。肉体労働って一般に知識労働に比べて賃金は低い傾向にあると思うが、今やどっちかといえば知識労働って替えが利くというか人間に頼らない再現性が確立されてきている感はある。一方で肉体労働のほうは人間であるがゆえの安全確保のための危機察知能力であるとか、チームワーク・気配りみたいなところは人工知能や自動化が難しい分野で、人材の希少性や賃金はこれから逆転していくのかなと思ったり。

だってちきゅうをしゅじゅつしてるんだよ、シンプルにすごくないか

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