「詐欺にかかるな」は、そろそろ無理ゲー

映画や本に「感動するな」と言ってることに等しい。
基本的に、会話が始まったらもう騙されると思ったほうがいい。

今朝のNHKのニュースで「郵便物の伝票が濡れて宛名が見えなくて、教えてください。」で息子の名前を言ってしまったことで詐欺被害にあったと。それは言っちゃいますて。
これを「巧妙化」「気をつけろ」と言われると、人と人との無数の作為のない関わり合いをやめるのに等しいと思ってしまう。

悪天候のなか配達してくれてると思えば助けたいと思うのは極めて自然な欲求だし、届かなければ自分が困るわけだから、この時点で「ひょっとしたら詐欺かも」と思ってこの依頼を無視するのはやっぱり難しい。あとから言うのは簡単だが、ターゲットは「善意の合理的な個人」であることを忘れてはならない。

よほど支離滅裂かあるいは見るからに怪しいという感じでなければ、そこに違和感なく入り込んでしまうのは、映画や本に感動するのと大差ないと、俺には思える。
だから、強いて言えば、人と一切関わるな という啓発であれば、詐欺対策としては有効だと思う。

映画を「これはフィクションだ」とずーっと心に言い聞かせながら1つも感動しないように2時間見続けるような感じ。
そんな人生に何の意味があるってんだい。人に触れ、助けては助けられ、自分の無力を感じながら感動を刻むのが人生じゃないのかい。

できるだけ感情の起伏を起こさないように、疑って疑って、気を付けて気を付けて、すべては作為であると決めつけて目を合わさないように生きる。そんなんでいいの?

引っかかる人が悪いとか、クソみたいな屁理屈言ってないで、ちゃんと悪者をさばいていこうよ。お金も返してもらおうよ。絶対トレースできる仕組みを作ろうよ。

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