字が下手になっていく自分を受け入れる

もう春。

冬服をまとめて実家に送ったのだが、ゆうパックの宛名に書いた母の名前がヘタクソすぎて絶望した。

まずペンを握った瞬間から、ちょっとした違和というか、「あれ、うまく書けるかな?」という焦りみたいなものは感じた。

それは、数年ぶりに自転車にまたがってこれから漕ぎ出すときのような感覚。漕げることはわかってる。まさか転びやしない。だが、漕ぎ出しで多少グラつくんだろうなと想像できるようなあの感じ。

案の定、ペン先は安定せず、安定しないペン先を見た自分はさらに動揺し、崩れてもう取り戻せそうにない一文字目は捨てることにした。さて、気を取り直して二文字目に入る。今度こそいけるはずという意気込みと重圧のすべてが僕の右手にのしかかり、それは筆圧という形で表出してしまった。無駄に強い筆圧はゆうパックの複写式のシートを目いっぱい押しつぶし、一文字目とはまた違った不格好さを露呈した。以降は、丁寧に書くことを放棄した。

考えてみれば、もう数か月ペンを握ってない気がする。何か1つスキルを失った感がある。かといってこれから磨こうとは思えない。じゃああとはヘタクソになっていくだけ。このジレンマに打ち勝つためには、「字が綺麗であることを良しとする」価値観を変えていかないといけない。

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