ストイックと我慢の関係

今日は朝からめずらしく大雨に強風で、お天道様の怒りでも買ったのだろうか。こっちで仕事するようになってから、一番の悪天候に見舞われた。

こうなると、僕が気休めで持ち歩くお気に入りの折り畳み傘は無力に等しく、くるぶしが見える程度に短いパンツは冷たい空気を存分に取り込み、出発直前に思い出したように顔面に塗りたくった乳液は雨水と混ざって気持ちが悪く、お気に入りの革靴はしっかりと雨に濡れてしまい、いつも気持ちよく歩く橋では悪意が感じられるほどの強風で苛立ちすら覚える。

良い歳をしてたかだか天候の程度に気持ちを左右されてみっともないったらありやしない。

しかし、すれ違うサラリーマンたちも同様に顔をしかめながら、橋の上で強風にあおられ、傘をひっくり返しながらも、文句を言わずに歩いてる。なんだったら、晴れてる日の面倒くさそうな顔と足取りに比べれば、いささか前のめりで強い意志すら感じる。

さておき、僕はほぼ無意識のうちに近場のコンビニに入り、なおも無意識のうちにブラックサンダーを1つ買って、このイライラを帳消しにかかる。繰り返しになるがたかだかお天気の程度でイライラして、少々ギルティなお菓子で穴埋めしようだなんて、その精神性は子供のころと何ら変わってない。

無論、僕は大人が大人である確たる所以は、国家が適当に決めた成年・未成年という区分け以外にはナイという立場をとっているので、この随分と幼稚に見えるイライラに関しても自然的である。大人ってのは子供が作り出した空想上の生き物だと定義している。だから、小学生の頃に毎日の登下校で雨だの雪だの降れば靴がぐちゃぐちゃになるが、その日の給食がお気に入りメニューであれば一定そのストレスも緩和できると考えていたあの頃と、何も変わっていない。所詮その程度なのである。

前置きは長くなったが、端的に言えば、だらだらと勝てる試合に胡坐をかいた生活には終止符を打ちたい。最大限前向きな表現ができるとすれば、ストイックな生活を取り戻したい。

まずは乱れた食生活のこと。2週間前くらいに体重を計ったときにはそこまで増加は見られず(177cm 68kg)、はたから見ればやせ型なのかもしれないがベストな自分はそれどころではないので一旦その水準を取り戻したい。次に、自己研鑽のこと。適当なテック系の認定に逃げるのをやめて、自分のバージョンアップと向き合う必要がある。

そして、こうしたストイックさは、果たして「我慢」なのか、だとしたらその「我慢」は人生の幸福度を下げているのではないかという問いに、自分なりに答えておきたい。

その答えってのは、「ストイックさは我慢であるが我慢を上回る自己肯定感につながる」と断言しておきたい。
逆に、それが維持できなければ日々は快楽の連続であるが、自己嫌悪感が付きまとうことになる。

どっちが正しいと定義したり議論したりするつもりはない。これは個人の価値観の問題である。

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