生まれ月の遅れは次男という属性で補った

生まれ月の早い遅いが、人生の成功や幸福に影響しているという論調。おそらくは統計的な結論は出ているのだろうから、もはや議論の余地はないと思うし、余地があったとしてもその議論には正直うんざりしているのだが。

12月生まれである自分のケースだけ考察して自分のなかでは終止符を打ちたい。

1.小学生時代
身体能力:身長は平均的でガリガリだったものの、運動神経は良かったタイプだと思う。特にバスケは学年で1,2を争うレベルだったと思うし、マット運動で最初にバック転を決めたのも僕だった。逆に水泳は下から数えて5番くらいのヒドイものだった。当時も今も、生まれ月によるハンディキャップを感じたことはなく、純粋に得手・不得手があっただけかなと思う。
学力:1・2年生の頃は漢字が書けなくて人生に絶望していた。当時担任だった女性のM先生が厳しくて、漢字が書けるようになるまで給食を食べさせてもらえず、人生に絶望していたことは鮮明に記憶している。僕のクラスでは、僕とHちゃんという女の子の二人が落ちこぼれだった。ところが算数については大好きで、おはじきを使わず答えてはそれはそれで怒られていたことを思い出す。総合的にみると、低学年時代は劣等生・高学年になるにつれて優等生という感じ。
当時は生まれ月によるハンディキャップを感じることはなく、今になって多少そういうのもあったかなという感じ。

2.中学生時代
身体能力:野球部に入り2年時から主力で活動した。投手としてはパッとしなかったが打者としては主軸をつとめ、中学生にしては珍しく本塁打も記録した。地方大会は一回戦負け。この頃になるとぐんぐん日々日々体が大きくなって、身長は3年間で20cm以上伸びた。生まれ月によるハンディキャップは見た目上も完全になくなった。
学力:可もなく不可もなくという感じ。学年全体で80人程度の小さな学校だったが、中間テストや期末テストの順位は、常に15番前後。仲間内のなかでは秀才扱いだが、頭良いグループから見るとちょい足りない奴って感じの立ち位置だった。生まれ月によるハンディキャップを感じることはなかった。

3.高校時代
身体能力:僕より体のデカイ奴らがたくさんいてびっくりした。学年人数も5倍くらいになったので正直あまり覚えていないのだが、体力測定みたいなやつで左手の握力は学年で一番だったことと倒立歩行も抜群の安定感だった。またしても野球部に入り、投手としてはパッとしなかったが打者としては主軸を務めた。
学力:学年400人以上のなかで、常に3番~5番をキープする秀才くんだった。

まとめると、小学低学年時代は学力の面で周囲と比べて明らかな劣等感があったがそれは自然と克服した。なんとなくだが、そんなことは考えなくても良いくらい学校での兄の存在感が大きくて、一旦死にゃあしないなと考えていた節がある。兄は頭脳明晰で、走ればリレーの選手だし、喋れば人気者って感じだった。通常の感覚ではそこに劣等感を覚えるのが弟としての可愛さなのかもしれないが、僕の場合は「だったら俺がバカでも大丈夫だ」と思っていた節がある。そうしているうちに僕も自然と優等生タイプになっていった。

大人になった今、他人に憧れたり自分にがっかりすることは日常茶飯事だが、それはもちろん生まれ月なんかではなく、僕が歩んできた僕の人生であると完璧に受け入れている。

結局、配られたカードで戦うって話でしかない。だったら早々に受け入れるのが幸せへの近道?

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