釋西澄(しゃくさいちょう?)

年末年始、家系図プロジェクトを再開した。過去にもチャレンジしたが途中で断念していたので、今度こそと思い立ち。

で、父から昨日連絡がきた。初代がわかったらしい。

分家初代 平作
明治二十二年七月7日寂
初代 釋西澄

生前の名前が平作、戒名が釋西澄、明治22年7月7日に寂滅したそうな。

僕の高祖父や曽祖父は、パートナーが先に死んじゃったあとその兄弟と再婚したり、分家から本家に嫁いだりと、今では考えられないムーブをかましていた。少しユニークな人たちだったのかな?と思いきや、当時はそういうことは当たり前だったらしい。

念のため戸籍謄本で辿れるところまで辿ってみようかと思ってる。

ちなみに、明治22年(1889年)はどんな時代だったんだろうかと調べてみた。
2月11日 – 大日本帝国憲法・旧皇室典範・ 衆議院議員選挙法公布。万歳三唱が始まる。
4月1日 – 市制・町村制施行、弘前市、横浜市、大阪市、久留米市など31の市が誕生。
5月1日 – 東京15区で市制を施行し、東京市が誕生。
5月6日 – パリ万国博覧会開催( – 10月31日)。
7月1日 – 東海道本線全通(新橋 – 神戸間、直通列車毎日1往復)。
7月8日 – ウォールストリート・ジャーナル創刊。
7月28日 – 熊本地震。
10月6日 – パリでムーラン・ルージュ開業。
10月25日 – 黒田内閣総辞職(三條暫定内閣)。
12月24日 – 第1次山縣内閣成立。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA