部落差別。これに関して僕が小学生のときに習った内容はこうだ。
・江戸時代、農民より下に、「えた」「ひにん」という身分があった
・同じ人間であるにも関わらず人が好まない仕事を強制され、また貧困にも苦しんだ
・全く見た目は同じ人間なのに。
だから差別はダメだよと習った。
今になって思うのだが、現代と何が違うんだろうか。一般に良い仕事とされる職業には、容姿や学歴が優れた人が従事しているし待遇が良い。逆にそうでなければ人が好まない仕事をしかも低賃金でやらなければならない場合が多い。
勤労や納税は国民の義務なのだから、「同じ人間であるにも関わらず人が好まない仕事を強制されている」と、言えなくもないんじゃないのかな。そんでもって部落による差別なんかよりもよっぽど残酷ではないか。努力で抜け出せるという幻想を与えてしまっているのだから。
もちろん全体の生活水準、経済レベル・社会のセーフティネットは400年前とは比べ物にならないほど充実しているため、その差が餓死や病死といった生死には直結していない。しかしながら、より社会性が高まった現代においては、生き物としての生死から精神的な健康への比重が高まってきており、こうした苦しみが、生きるより死ぬほうがラクなんじゃないか?という「進化」を手伝っている気がする。ここら辺が資本主義の限界。