監督の送りバントのサインを無視してヒッティングしたら二塁打になり、それが決勝点になってチームを勝利に導いた星野君。試合後にサインを無視した罰として以降スタメンを外されるって話。
これ、来年度の道徳の教科書から消えるらしい。残念でならない。いわく、「軍国主義的」「絶対服従」「自己犠牲」の時代ではなくなったから。とのこと。
いろいろ突っ込みどころが多すぎてどこから切り込めばいいのかって感じだが、まずは「軍国主義」という批判について。この教材を軍国主義につなげるなんて曲解もいいところ。体罰や暴力の要素がどこにあったの?誰も武力を行使していないし、それをもって統治しようとはしてないのだから、まったくずれた意見だろう。
次に「絶対服従」という批判について。これは視野が狭すぎる。野球は望んでやってるわけでしょ。好きで野球をしていて、好きでチームに所属している。やめたければやめればいいし、どうしてもワンマンプレーをしたいなら陸上等の個人競技をやればいいしあるいはそういうプレーが許されるチームに転籍するしかない。大人だって同じだろう。ほとんどの人は企業に勤めている。自分が選んだ企業に勤めておきながら、上司の命令が気に食わないと「絶対服従だ」と言っては悲劇のヒロインを演じる。イヤイヤ、お前が選んだ組織だろ。自分に合わなければ組織を変える・競技を変える自由はあるわけで、意見がとおらないからってルールを破っていいことには到底ならない。
そして「自己犠牲」について。バントは犠牲じゃない、貢献だ。たしかに犠打って書くけども。決して目立たないが勝利に貢献するプレーや姿勢のことを犠牲だなんて捉えてるやつらが一番卑しい。たとえば町の清掃員は犠牲者なのか?学芸会の主役だって一人しかいないし、社長だって一人しかいない。あとは全員黒子でしょ。彼らは全員犠牲を払ってるとでも言うつもり?
とにかく、上に挙げたような理由でこの教材を小学生の教育に適さないと認めることは、組織のルールは守らなくても結果がすべてであると認めることになる。正気かって感じだ。
ちなみに、ちゃんと野球人目線から言えば、攻撃時は監督のサイン、守備時は捕手のサインで、みんなそれに従ってプレーするのは基本中の基本。従えない人が試合に出られないのは当たり前である。他のスポーツとちがって、一球一球にサインがある。
例のごとく「バント」のサインが出れば、打者だけでなくランナーやランナーコーチや次の打者までも、自分の役割を意識する。だから、従えない人がいたら「監督が困る」だけではなくチーム全体が混乱に陥る。
組織全体に混乱を招く人と一緒に仕事ができるだろうか?「それでも結果がでればいいでしょ」と、そんな教育を本気でしたいデスカ?
僕は、この教材が「上の命令は絶対である」ことを植え付けるものだとは思っていない。この教材の教えは、「ルールには従う義務はあるが、組織(競技)を選ぶ自由はある」だと思う。小学生に「選ぶ自由」が本当にあるかどうかは微妙だけど、そういうマインドを学んでおくことは大事。