デスクの下の靴

職場のフロアがフリーアドレスになったものの、実質的には自分の定位置は決まっており、強いて言えば必要に応じた部分的な席替えが自由になったくらいだ。
実質的に定位置が決まっているから、みんなサンダルや靴は自席の足元に置いてある。

この脱ぎ散らかし方、少々品がない。
性格がきっちりしているか否かではなく、「人に見られている意識」の問題と思える。
自分は完璧主義でもないし潔癖でもない。あるいは躾の良い家庭でもなければ、靴を揃えないと野球の練習をさせてもらえなかった高校時代のことはとっくに忘れてる。

ただただ、このデスク下の足元を「プライベートな空間」とは位置付けてないというだけだと思うんだ。多くの人は、わざわざそんなことにまで気を使って息苦しいと思うのかもしれないが。
「誰かに見られている」という意識は、我々ホモ・サピエンスが社会的に生きるために数万年の時を経て身に着けた生存戦略だと思うのだが、最近はそういう自他の意識を少し斜め上から「誰もお前のことなんて見てない」「自意識過剰だ」と言う風潮が強い。

いやいや、見られてますって。
脱ぎ散らかしたサンダル、微妙に隣席に侵食しつつ置かれたカバン、わけのわからない紙袋やダンボール、これが当たり前の人達とどうやってフリーアドレスを実現していけばいいのだろうか。

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