将来の夢変遷

何かを出土したい(=考古学者?地質学者?)
小学1~2年生頃まで。当時は「考古学者」という単語は思いついていなかったが、穴を掘って何かを出土させたいと漠然と思っていた。家の畑を掘り進めて、何かの部品が出てきたり、見たことのないお菓子のパッケージが出てきたりすると、それがいつの時代の何なのかを調べては、自分だけが見つけた新しい発見ではないかとワクワクドキドキした。掘削機や金属探知機が欲しかったのもよく覚えている。一攫千金を夢見ていたわけでもなく、純粋な興味だった。

プロ野球選手
小学6年生頃まで。当時は地元の少年野球チームに入っていた。本当はバスケットがしたかったがチームがなかった。というか、学校が運営するミニバスチームには入っていたが、それはなぜか冬だけ活動する仕組みだった気がする。あれはよくわからない。夏はみんなで野球をして、冬はみんなでバスケをするという仕組みだった。
友達の多くは野球好きだったので、それに影響を受けて自分も野球になびいた。当時は夜になると父がナイターで巨人戦を見ることが我が家の習慣になっていて、それも影響したと思う。

自衛隊員
中学2年生頃まで。なぜか猛烈に一人暮らしをしたいと思っていて、そのためには稼ぎが必要ということも理解しており、全寮制で中卒で働ける選択肢として自衛隊が浮かんでいた。
夢というよりは「現実的な選択肢」として職業を見るようになっていたと思う。今調べてみると入隊条件は18歳以上とあるので、何か勘違いだったのか制度が変わったのかわからない。
当時は友達や親にも、高校行かずに自衛隊に入ろうかなと話していた。

プログラマー
高校3年頃まで。高校3年の夏にJavaで初めてプログラミングを経験して感動。両親が経営する自営業の請求系の基幹業務システムをTomcat+Java(JSP)で開発した。間違いなく、今までの人生で見たシステムの中でダントツにクソシステム。その評価は今も変わらず、一生のトラウマ&黒歴史。

社長
大学2年生頃まで。なんとかバカでも起業して成功する方法がないかと考えていたが、実際は何も考えていなかった。何も行動せず勉強もせず、ただ無為な日々を過ごしていた。

公務員
大学4年生まで。国家二種か地方上級を目指して勉強したが、箸にも棒にも掛からなかった。その程度の努力ができない自分が国家の公僕として生きていこうだなんて間違いだと悟った。
いただける内定はSIerばかりで、どうやらシステムエンジニアになるんだなと現実を受け入れた。

バックパッカー
今でもたまに思う。継続的なものではない。これについては、「随分おじさんになってからでもできるかも」と思っているからこそ、「いつかはね」という感じ。

小さな子供たちが将来の夢を考えるとき、ここで挙げたようにいろんな変遷があって紆余曲折があって、なおかつそれらが1つも叶ってない状況だとしても、特にそれが不幸であるだなんてこともないんだよと教えてあげたい。夢があってもなくても、叶っても叶ってなくても、今の幸・不幸にはさして影響してないよと。

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