小学生の頃、学校をずる休みしたことがあった。記憶のなかだけでも3回程度はある。
いずれも仮病だ。虚偽の不調を親に申告して休んだのだった。
自分的には、朝起きたら猛烈に学校に行きたくなくなって、「もしここで適当に具合が悪いフリをしたら休める」と思ったら、もうそのことが頭から離れなくなって、あとは演技で勝ち確だった。
休んだ日は、母に連れられて近所の内科医院に行ってウソの自覚症状を伝え、何となくトローチとかをもらい、帰宅してからは基本的にはおとなしく過ごしつつも、ゲームをしたり読書をしたり自由に過ごし、ゼリーやスポーツドリンクを飲めるというご褒美的な1日を過ごした。もちろんそうした優雅な1日のなかでも罪悪感という黒い影は常に付きまとうのだった。
しかし考えてみれば、休みたいときに休むことがズルいだなんて、身も心も未成熟な子どもにとっては酷すぎる。大人だって体の不調はなくとも自分へのご褒美として「休み」を準備するではないか。
これは休むことを「ずるい」ことだとする洗脳にほかならず、多くの大人たちは仕事を休むことへの罪悪感を抱えており、休暇の前後で同僚に謝ったり、お土産を買ってきたり、真っ当な理由を探してみたりする。
思うに、義務教育中の子どもにだって権利休暇みたいなものがあってもよい。無論、昔と違って学校が託児所みたいな役割になりつつある現代においては、権利休暇を消化できる子とそうでない子が出てきたり、それはそれで別の社会問題を生み出すことは容易に想像できるが。
うまく制度化できれば、大型連休の混雑緩和になったり、いじめ自殺が減ったりする可能性あるんじゃない?