とある就職情報サイトが「底辺の仕事ランキング」として12の職業を掲載したことが炎上している。そんな発信をしたら炎上しちゃうことがどうしてわからないのか。
さておき、怒りたくなる感情も理解できるが、何がダメだったのかを考察したい。
第一に「底辺」というのは(当たり前だが)比喩である。
たとえば多くの会社組織はピラミッド構造になっているわけだが、その構造を図で見た場合、平社員は底辺の位置である。これには異論ないだろう。また、サプライチェーンで見た場合、発注者と契約者、契約者と請負者、請負者でも1次請けと2次請け、2次請けと3次請けといった関係は、ピラミッド構造であり、これも図示してしまえば末端で従事する方々は、位置的に「底辺」ということになる。で、今回の12の職業は、構造で見ればやはり「底辺」であることは否定できない。つまり、組織や商流の構造でとらえれば、最初と最後がある、先端と末端がある、頂点と底辺があることは誰もが認めるところだろう。ただこの「底辺」という比喩に「人を見下す意図」が含まれていることが問題なのである。「末端」とか「トカゲのしっぽ」みたいな比喩も同じであろう。
次に、「職業に上も下もない」という反論は本当なのかを考えたい。
こちらも別の例で考えてみるが、大学は偏差値で序列がある。学力をもってして良いか悪いか、上か下かを序列することは世間的に市民権を得ていると言える。
同様にして、就職難易度を業界別に序列することも許されていると言える。
上位に官僚・商社・コンサルと来て、中間層にその他のホワイトカラーがあって、下位にサービス系やブルーカラーが来る。こうした序列は事実存在しているのであって、「上も下もない」というのは少々綺麗事が過ぎるのかなと思う。これが、「そこで働く人々の人間性において上も下もない」と言うのであればそれはそのとおりだが、無論そのような意味で言ってるわけではないだろう。
最後に、こうした職業の人たちへの「彼らがいなければ生活は成り立たない」という賞賛について考える。これは事実であるものの、発している人は構造上あるいは就職難易度上で上位にいる人たちである。彼らに「じゃあ代わってくれ」と言ったところで誰一人代わってくれないだろう。だから、「彼らは大切な人たちだ」というのは言わば「このまま引き続き頑張ってくれ」と上から目線で言ってるに過ぎない。
総合すると、「構造上」底辺の職業はあるし、そうした職業の「就職難易度」が一番低いこともまた事実である。にもかかわらずそうでない上流・上位の人々が下流・下位の人々に対して「彼らは大切よ」といった気休め発言をすることこそ悪であるし、真にそう考えているならば待遇や報酬を改善するという動きをしないことが、最低なのである。
「彼らの仕事はなくてはならない仕事よ」といった賞賛しつつも本音は「引き続き低賃金で頑張ってくれ」と言ってるわけだ。僕にはこんなやつら信用できない。
本当にそうなら待遇改善しなければおかしいし、それができないならテキトーな気休めを言うもんじゃない。