社会に出るってどういう意味だっけ

たとえば、大学を卒業して内定した会社に就職する。これは「社会に出る」の代表例。
大学に行かず高校卒業と同時に就職する。これももちろん「社会に出る」と言えるだろう。中学卒業後の就職でも同じ。起業やフリーターでも当てはまりそう。

じゃあ、社会に出るということは学校を卒業して経済的に自立することをさすのかな?

あれ、でも学業とアルバイトを両立しながら経済的に自立している人はいるし、逆に学校を卒業して就職したけど親から経済的援助をしてもらってる人もいる。この場合、前者は社会人ではなくて、後者は社会人なのかな?もし前者は社会人じゃないとすれば、就職して何十年後に大学の夜間コースで学びなおす人も社会人ではないの?それとも社会人なの?または学校を卒業したけど、就職もアルバイトもせず路上で生活する人や世界を放浪する人は、これは社会人なの?

あと極めつけは、学校の先生は「社会経験がない」とよく言われる。どうやら就職して経済的に自立していても、社会の経験ではない場合があるらしい。どうやら辞書で調べてもふんわりとした定義しかなく、この世界は社会人かそうでないかの2種類で区分されてはいないようだ。

しかし現実は、「社会に出る」「社会に出たら厳しい」「それでは社会でやっていけない」といった、めちゃくちゃ厳しい社会と、そうでない緩い空間があたかも存在するかのように表現され、とりわけ「労働の厳しさ」の表現方法として「社会」が使われる場合が多い。
これは残念だなーと思う。

子どもの頃、就職や労働に対する恐怖みたいなものは一切なかったと思う。
むしろ、早く大人になって自分でやりたいことを見つけて稼いで自由に暮らしたいと思っていた。それが、中学・高校・大学と進むにつれて、立派な社会人たちは「社会は苦しいもの」だと教えてくれるようになった。次第に、社会というものが先の見えない暗黒トンネルを大行進するかのような印象になった。

そう考えると、取りうる選択肢はどんどん狭くなったように思う。社会に出ることは厳しいことだ、学生気分では通用しない、やっていけるわけがない。今思えば洗脳そのものだ。

だけど今は、社会ってやつにある程度満足している。入ったトンネルが良かったのか、それとも真っ暗なトンネルなんかそもそも無かったのか、よくわからない。

もし後生に一言伝えるなら、社会とそれ以外で世界を二分する考えは、就職や労働で満たされなかった人たちが作り出した世界観であって、そっちの世界観に毒されてしまうと不幸になるかもってことだな。

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