過去の遺恨は必要ない

あー、またこの時期が来た。そろそろ8/6 広島への原爆投下の日。

僕は、今を生きるアメリカ人が、広島への原爆投下の話を知らなくたって、反省していなくたって、ノープロブレムだと思ってる。人と人が和解・協調する手段に暴力を用いる必要がないことは、むしろ過去の教訓をなしに理解すべきことだと思う。

逆に「一度広島に来て悲惨さを感じるべきだ」と言ってるジャパニーズピーポーに対して問いたい。
あなたは、一度でもパールハーバーを訪れてその悲惨さを反省し合掌したことがありますか。
あるいはソウルの従軍慰安婦像を前に一度でも跪き、涙したことがありますか。
少なくとも僕はない。だから相手にも求めない。

戦争の悲惨さを語り継ぐ意義を否定するつもりは1ミリもないが、僕たちはサルではないのだから、無理に相手の上に立ってまで謝罪を要求しなくたって、暴力を否定することができるじゃないか。

ちなみにちょっと余談になるが、僕に至っては12/8が誕生日なもんだから、「誕生日がパールハーバー(1941/12/8)なんてかっこいいね」くらいに言われることがある。真珠湾攻撃を誇らしいと思ってる人すらいるのが現実だ。
そのくせして、主語が広島になると途端に被害者面になるのが我々ジャパニーズピーポーなんだ。

歴史を語り継いでいくのは自由だが、80年前のことを謝ってほしいとか、一度来てみろとか、そういう感情がまさに上位の立場を得ようとする暴力的・高圧的な態度に違いなく、戦争のない世界を作る方法ってそんなことでは断じてないと思うのである。

ただひたすらに、暴力や圧力によって他者を思いどおりにしようなんてゆめゆめ思わないことだ。必要なのはそれだけのはず。

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