義憤中毒

義憤・・・道義に外れたこと、不公正なことに対するいきどおり。

人は、他人に正義の制裁を加えると、快楽物質であるドーパミンがドバドバ放出されて気持ちよくなれる。ドラッグ・ギャンブルと同じような依存性がある。次に罰する対象を探しては正義の鉄槌を下し続けることになる。

だから、求められない限りは人に注意なんかするもんじゃない。
誰しもドラッグやギャンブルに依存したら人生が破滅することはわかってる。
正義の鉄槌も同じだ。これに依存すると、自分の人生が破滅する。
ドラッグは健康を、ギャンブルはお金を、じゃあ正義の鉄槌は何を失うかと言えば、人間関係に違いないだろう。

そういう意味では、上司という立場は損だなと思う。
手っ取り早く気持ちよくなる手段が用意されていることになる。
幸い今の自分の周囲にそういう人はいないが、過去には義憤中毒だったのかもしれないと思える人は何人か思い当たる。

警察や先生といった職業も、そういう危険と隣り合わせの職業だから、ちょっと普通では考えられないような行き過ぎた鉄槌や指導が犯罪としてニュースになったりするわけだ。
当人らの人間性とか性格ってよりは、義憤中毒になりやすい環境であることを、まずは認めていかないといけないんだろうな。

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