それが今回の事件の発端を象徴してると思う。みんなそうやって、「まさのりくんは偉いねー」「さすが名家の長男だねー」「お父さんもお爺さんもすごいねー」って数十年間言われ続けて育って、「あれ、俺は何者でもなかった」って悟った可能性あると思う。
それは、結構みんなそうなんだよな。
何も、特別名家の親の元でなくなって、どうあがいても勝てなかった友達とか、手が届かなかった憧れの先輩とか、めちゃくちゃ高圧的な学校の先生とか、そういうのを目の当たりにして劣等感やコンプレックスに押しつぶされそうになりながら大人になった人がほとんど。
自分が世界の中心だったのははるか昔の小学生まで遡る。いつしか「何者でもなかった」と悟って慎ましく生きる。100人いたら99人そんな感じだと思う。
それでも、みんなそういうペインポイントには自分ではフタをするし、ましてや他者から触れられることもなく、ちゃんと忘れることができて楽しく生きていける。これがフォーマットなんだと思う。
ところが、今回の「親が議長」「名家の長男」報道が象徴しているように、「立派なおうちの長男がー」って皆言いたいんだよね。村社会の野次馬根性っていうかなんというか。
たぶんずーーーっと言われ続けてきたんだと思う。テストのたびに、授業参観のたびに、運動会のたびに、進学のたびに、就職のたびに。べつに彼に同情しないけど、周りの人らも報道も親も大概だ。
今回の件で、同級生の一人を思い出した。彼は、地元では名の知れた会社のお偉方の長男だった。家も車もピカピカで、特に玄関が「木でできてる!」って感じのでかい家が印象的。なぜかクラスのみんなが彼を「博士」って呼んでスーパースターみたいな扱いだった。
俺はなんとなくそうは呼べなかった。あまり仲良くなかったというのもあるが、俺のほうが頭が良かったし足も速かったから。
以来全く会ってないが、博士という器に苦しんでなかったか聞いてみたい。