『傲慢と善良』

そこまで共感はできなかったけど、物語としては面白かったので記事にする。(上から目線)

「傲慢かつ善良が自己愛の中に同居する」という新たな発見!みたいなテーマのようだが、個人的にはそれもちょっと違うと思ってる。そもそも、大昔の人たちが、人間に対して「性格」という属性をつけてしまったことがすべての間違いだと思う。
この物語に出てくる「傲慢」「善良」もそうだけど、人の性格を表す「優しい」「明るい」「暗い」「きつい」「つめたい」「謙虚」といった、1つのラベル貼りがありえない。そう思いたい人たちの勝手な解釈だ。

明るい面と暗い面がある、優しい面と怖い面がある、傲慢な面と善良な面がある。そういう解釈でいいのに。だから、優しいと思ってた人が怖いとなぜか批判の的になり、逆に怖いと思ってた人が優しいと賞賛の嵐になったりする。
しかも本人ですら、そうした切り替えを意思をもってやってるわけじゃない場合のほうが多い。そうすると、自分の気持ちもあてにならないし、人の評価・評判・判断もあてにならないってことになる。だけどそれは苦しい。だから、性格を1つあてはめてラベル貼りをして分類して楽になろうとすると。俺も無意識にそうしてると思う。

でもだんだんと、そういう複雑な状況を受容する社会になってきたとは思う。絶対こうでなければならないとされてきた価値観は、至るところで壊れ始めてる。人種・性差・宗教・貧富といったところから始まり、最近では学校にいかなくていいとか、就職しなくていいとか、結婚しなくていいとか、ちょっと前では考えられない生き方が増えてきた。そうやって、複雑性を受け入れられるようになってくると、最終的には「性格」みたいな括り方も減っていく気がする。

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