雑貨たちと神クラス

セロハンテープ、絆創膏、電池、カッター、ドライバー。

1人暮らしでは数か月に一度しか出番がナイような雑貨たち。彼らに保管場所を与えるコスト及びその場所を覚えておくストレスが大きすぎる。

すべてのモノには定位置があって、そこには一定の意味があるわけだが、こうした雑貨類には「特に意味のない」定位置を与えることになる。適当なケースやペン立てに入れて整理した気に浸ることはできるが、そうした状況は「えーい、これもそこに入れちゃえ」心理に発展していく。
これは、ソフトウェア開発における「神クラス」「大きな泥団子」の状態と同じ。一つのクラスに余りにも多くの機能性を装備してしまい、コードが肥大化した様子を示すアンチパターン。

わけのわからない雑貨で埋め尽くされた1つのケースには、使えるか使えないかわからない道具がたまっていく。何年かそうした状態が続くと、「そこにあるかどうか」を調べて、「なければ買いに行く」といった状況になる。これは、「所有しているかどうかを把握していない」のであって、正しく機能するかどうかわからない状況を許容することでありとてつもないストレスだと思う。

だから、何でもぶちこめる箱やケースを置いたら詰む。かといって毎回使い捨てるわけにはいかないジレンマ。こうした雑貨類は、マンションの管理会社が月額500円とかでサブスクリプションサービスを展開してくれないだろうか。

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