スポーツを通して国民性が賞賛されたときの嬉しい気持ちの正体

WBCやってるね。チェコの監督が試合後、「日本のファンは世界一。見守ってくれてありがとう」と会見したそう。

サッカーでも、ごみを持ち帰ったりスタジアムを掃除する日本のファンに対しての海外の反応として「クールだ、尊敬に値する、誰もが見習うべき、彼らが真の勝者だ」と評価されている。

こうしてスポーツを通して国民性が賞賛されたときに、(現地に足を運んでいない俺にとっては無関係ではあるのだが)とても嬉しい気持ちになる。この正体は何なのか言語化したい。

1.根底にある劣等感
我々の祖先が縄文人なのか朝鮮人なのか、その混血なのか、そういったアカデミックなところはわからないのだが、俺でもわかることは、欧米に多いラテン系・ゲルマン系に比べて、体は貧弱・容姿も貧相・性格は弱気(穏やか)といった、種の違い。
弱き者は強き者に認められなければ生きていけないため、明らかに種が異なる彼らからの手放しの賞賛は、頑張りが認められたように感じて心が満たされるのだと思う。

2.同系との差別化の認知
同じアジア系でも朝鮮人・モンゴル人は、強気・攻撃的といった特徴を持つ。これも学術的な根拠はわからないが、日本人としての感覚では、「いや、俺たちはそうじゃないよ」っていう気持ちが、ずーーっと心の中にある。これはみんなあると思う。
強気・攻撃的な面を否定するわけではないんだが、彼らの言動を見てると(同じ顔かたちをしてるが、どうやら違うようだ)と思わざるを得ない。
そうした内面の違いを種の異なる民族が認知してくれたことが嬉しい。

3.島国の孤独
ペリー来航が1850年頃。まだ200年経ってない。我々は基本的に外部からの接触にビクビクしてる。そんな状況において突然優しくされたら惚れてまうのである。
大陸続きの国々は、侵略もさることながら交流も盛んにあったので、外部との接触に抵抗感が少ない。最近の表現にすればコミュ力が高い。相手を褒めたり褒められたりしながら高め合ってきた。我々は違う。普段はモジモジしてて話しかけられただけでポッと顔が赤くなるかわいい性(さが)を持っている。

転じて、日本のリーダーたちは、こうした他国・多民族を賞賛するようなインタビューをしているのか気になる。ちゃんとお返しをしてほしい。褒められてデレデレして終わりなのは悔しい。

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