貧乏舌

いただきもののお酒。

日本酒を飲むイメージだったらしい。確かに一時期ハマって家でも飲んでたことがあった。
もちろん今も好きだが油断すると翌日ゾンビになるので、余裕のある日に落ち着いて頂こうと思う。

入り口は、上善如水だった。その後、当時お世話になっていた人の影響を受けて、久保田・〆張・至・八海山・麒麟山・北雪・鶴の友・景虎・鮎正宗とかを飲んでいた。
家でも取り寄せていくらか飲んでみたものの、ついにそれらの味の違いはわからなかった。
辛口とか甘口とかその程度の違いはわかるもののどうやら根本的な貧乏舌らしく、一番安い酒で十分だということがわかった。

ワインや肉なんかも同じで、一番安いアメリカ産のステーキと国産和牛、コンビニの700円のボトルと年代物の高級ワイン。何が違うのかわからない。
違いがわかるという人のことを「嘘こくでねぇ」と思ってしまう。

もちろん肉Aと肉Bの旨味成分を科学的に測ってみれば、そこに個体差がでるであろうことは理解している。その違い自体を否定しているのではなく、その違いを自分の舌が感じとれると錯覚してやしないかと思う。

和牛は美味しいと教わったから、美味しいのである。

比較的おいしくない和牛に出会ったり、比較的美味しいアメリカ産に出会うこともあるはずなのに、いかなる場合も「和牛は違うね」っていう評価は、一定のバイアスがあると思わざるを得ない。

たまには「あれ、この和牛は和牛本来の旨味が薄いな」みたいなことを言ってくれる専門家がいたならば、その舌は信用できる気がする。

本当は昨晩の会合のことを書くつもりだったのに、和牛への恨み記事になってしまった。

クロスサイド、ザ・ウォール、ナローリバーのお三方、昨晩はお世話様でした。

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