さて、公になったハズなので書いていく。
職場を変えることにした。36歳の自分にとってはここらが最後のチャンスだった。
ここで決断しなければ、もうあとはぬくぬく今の仕事を続けるしかなくなってしまう。
現職に関しては、トータルで「力をつけさせてもらった」という感謝が大きい。
新卒から14年間、ちょっと長居しすぎた感はあるが機が熟し、いろんなオプションを使える状況が今だったと解釈している。
ここでは、会社と仲間への感謝を記すこととする。
1.フルスタックな経験
提案フェーズから納品フェーズまで、全部自分でできるようになった。と書けば傲慢かもしれないが、もちろん仲間や会社の支援があってのことではあるが、それらをアンダーコントロールする感じを頭と体で理解した。会社の規模が小さすぎたり、あるいは大きすぎたりすると、全部を自分で手掛けるなんて経験は滅多にできないので、やりたい病の自分にとっては そうした働きが求められることは性に合っていた。
2.出張の経験
北は北海道から南は沖縄まで飛び回っていた時期がある。おかげでANA-SFCも取得した。
当時は若気の至りというか、空港ラウンジや機内で仕事をして悦に浸っていたイタイ田舎者だったわけだが、こうした全国へのITデリバリー経験は、その1つ1つが自分の記憶のスナップショットになっていて、「あのときはどこそこで○○プロジェクトをしていた」といったことを鮮明に思い出せることが嬉しい。毎日同じことの繰り返しではなく、どっさりと記憶のアルバムがある感じ。
3.自由の精神
「何でもかんでも自由が効く会社」という感じでは決してないし、むしろ少し堅いところがあるといったほうが適切な表現ではあるが、そうした社風のなかでも自分には一定の「自由」が認められていた気がする。
22歳のガキだった頃からPLをやらせてほしいと言ったらそうしてくれたし、何かと理由をつけて超ハイエンドなPCが必要だと言ったら用意してくれたし、提案から手掛けたい盛りだったときは自由にライティングさせてもらったし、ドレスコードぎりぎりかあるいは抵触しているかもしれないオフィスカジュアルも許されてる感がある。ありがたい。
4.仲間たち
いつも居場所があった。多くの失敗も経験したが、それでもいつも居場所があったのは仲間たちのおかげ。仕事においては、心理的安全性が一番大事と常々思っている。
人間・金・機械・情報といったいろんなリソースがあって、それらがちゃんと能力を発揮しなければ仕事が成立しないわけだが、こと「人間」に至っては、「能力を発揮できるかどうか」わからないふしがある。能力を発揮するためには心理的安全性の担保が一番大事。おれはそういう考えってわけ。そうした自分の考えを知ってか知らずか、俺の居場所があって彼らの居場所もあった。
5.上司たち
歴代の上司たち。その都度その都度全部追い越すつもりでやってきて、今がある。
結局、その役職まで到達できなかったので追い越せなかったことにはなるんだが・・・。
22歳のクソガキだった俺は、おかげで能力を身につけることができました。と報告したい。
そして、最後の1年の上司から受けた刺激は大きい。最も尊敬する上司の下で仕事をしつつ去る決断をするのは苦渋だったわけだが、まぁそういう巡り合わせってことにしておく。
つーことで、いろいろ準備していかないと。