『海賊とよばれた男』(下)

国岡鐵造(国岡商店)の戦後から終生となる1981年までを描く。
終戦直後の焼け野原となった日本において、1000人以上の従業員の1人も馘首することなく、赤字を垂れ流し続けながら廃油を浚う日々。そうした働く姿勢はGHQに認められたものの、業界団体からは「国岡商店は働きすぎる」「業界利益が減る」とのことから締め出される状況が続く。加えて、外油が日本の石油企業を買収し始める。日本にとって不利な条件だったが事業存続のためには飲まざるを得ない。国岡商店はこれに屈せず、何とか元売指定会社9社に食い込む。

セブンシスターズ(メジャー会社の集まり)に牽制されつつも、イランの原油獲得に動く。
ここはイギリス領となっており、石油大手のアメリカ勢が入ってこれないエリア。
ところがイランはイギリスに反発して「イランで採れる原油はイランのものだ」と主張する。
イギリスは、海外列強に対して「イランの原油に手を出したらタダじゃおかない」と警告。

ここで国岡鐵造が動く。極秘にタンカーを向かわせ、イランからの輸入に成功。
イラン歓喜、日本も歓喜。(このときの世論としてはイギリスの横暴、弱いもの虐めと見る風潮)
イギリスの石油会社は裁判を起こすが、国岡勝訴にて完全勝利。これにて国岡の安定財源となるも、長くは続かずアメリカとセブンシスターズに邪魔をされて、イランとの関係は1年半で終焉する。
国岡の次なる手は、アジア一の製油所の建設。BOAの融資を受けて徳山に建設した。
奇しくもアメリカの石油企業に邪魔されては、アメリカの銀行融資に助けれて。
加えて、セブンシスターズの一角であるガルフと業務提携。これは株式譲渡なしのイーブンな取引契約。これによって、輸入元・タンカー・精油所の3本柱を得た国岡は無双状態に。

それでも業界団体は国岡追放をあきらめない。石油連盟が「生産調整」を申し入れてくる。国岡ばかりがシェアを伸ばしてずるいと。政府もこれを受け入れて、設備のフル稼働ができなくなる。生産調整は裏目に出て三八寒波で供給不足があらわに。
鐵造は連盟脱退を決意。生産調整を無視して消費者のためのフル稼働を開始。
数年後、相手が根負けして生産調整の撤廃と連盟への再加入で和解。

以後、完全な自由競争となった。石油が戦争や政治の道具とされ、あるいは役人や業界団体の既得権益となってきた時代に、創業から消費者のためだけに働き続けてきた国岡鐵造とその従業員たちの物語。

刺さったセンテンス
・勝つと分かっているものを勝っただけのことだ。喜びはない。
・五十年は長い時間であるが、私自身は自分の五十年を一言で言い表せる。すなわち、誘惑に迷わず、妥協を排し、人間尊重の信念を貫きとおした五十年であった。
・一匹狼が檻を食い破って出てきた。
・社員に対する信頼。
・私は、人間を信頼するという考え方を広めたい。それが日本人の世界的使命。


石油連盟を脱退すると宣言した期間中も、数千万円の連盟会費をちゃんと納めてる描写に、懐の深さを感じました。

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