警告のジレンマ

ある集団に対して警告を繰り返していると、良識ある人は萎縮して去り、良識のない人には警告が全く効かないので、その集団における「良識のない人」濃度が高くなってしまう現象。

質問掲示版で、「〇〇を教えてください」「ググレカス」が繰り返されるのはまさにこの状況。良識ある人は他人がこの警告を受けている様子を見るや「ちゃんと自分でできるところまで調べてから聞こう」と真摯に受け止め次第に参加する意義や必要性を見いだせなくなり、去っていく。良識のない人には何度警告しても聞かないので行動様式が変わらずに居座り続ける。
SNSとかヤフコメとかも同じ。

これは現実世界においても、もちろん傾向としてはあると思うんだけど、ネット上は顕著なのかなと思う。そしてそれが事実だとすれば、段々とインターネットの世界は良識の無い人ばかりが発言し、良識のある人は冷ややかに見てる構図になってしまう。
すると、そこで得られる情報ってのが良質なのかどうかを疑ってかからなければならない。
インターネットであらゆる情報を入手できるようになったというけど、真に良識な人は「発信をしない」のだとすれば、そこで得られる情報にどれだけ意味があるんだろうか。

少し前のインターネット時代が、結構好きだった。
ゲームの攻略情報なんかをいち早くネットで入手したり、地元では購入できないような商品の情報を見たりと、「真に自分が欲しい情報」を見つけて歓喜したわけだが、今となっちゃ良識のない人が発信した欲しくもない情報が次から次へと舞い込んできて、まさに物質的な充足が精神を外側に追いやったみたいな感じ。

昔の発信者が少数だった時代は、あれはあれで好きだったなー。
広告もなくて、発信者は自分の趣味やスキを体系的にまとめてる感じのサイトたち。
うまく言語化できないんだけど、「情報を整理しました」っていう感じが好きなんです。

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