お手伝いは良質な仕事経験の宝庫

小学3年生頃から、夕食後の皿洗いをしてお駄賃をもらっていた。
1回50円。これが楽しくて楽しくて仕方がなかった。

みんなより早く食べ終わって、それはもう張り切って張り切って袖を肩のあたりまで腕まくりして、終わったものからどんどん洗っていく。すると母は喜んでくれて、家族はみんな笑顔になった。

数をこなすと、いろいろな作業が同時並行でできるようになって、より速くて正確なやり方を追求するようになった。
・1つ目を洗っている間に洗い桶に水を張る
・でかい鍋やフライパンはさっと軽洗いして一旦シンク外に置く。(作業場所を作る)
・1つ目を洗い終えたときに生成された洗剤の泡をベースにして油ものに泡を張る。
・箸はひとまとめにして水を張ったコップに入れておく。

そうした工夫や改良もまた、楽しさ(今の感覚では自己効力感)になっていった。
母が喜んでくれて、俺はお金がもらえた。

これが仕事の本質だと思う。
自分のやりたい気持ち → ②相手が喜ぶ → ③俺はお金がもらえる
このシンプルな抽象化モデルに、苦しさを見つけることは難しい。
しかし現実の仕事では、なるほどどうして苦しい場合が多いらしい。

そういう人は、順を追ってどこでつまずいている考えてみるといい。
ほとんどの場合初っ端の①でつまずいてるんじゃないかと思う。本当は良いと思っていないことや何かおかしいなと思っていることを、「自分以外の誰かに強制されている」と感じてるんじゃないかと思う。

ところがこれまた多くの人は、③が「苦しさの源泉」であると勘違いしている。③が増えれば①の動機につながると。だがそうした外発的な動機は長続きせずかつ幸福度への寄与が小さいことは、心理学的・行動経済学にわかっている。だから①が先。

こういった「仕事に対する抽象的な捉え方」を新人教育とかで取り入れるべきだと思うのだが、一方では雇用主が「①が先で③は後だ」と豪語すれば、(・・・ん?変なとこ入社した?)ってなるのもわかる。だから、大人になってからこうした価値観を変えるのは極めて難しい。

自分の場合は両親が自営業だったので、子供の頃から家庭でも事務所でもたくさんのお手伝いをやりたがって、そしたら多くの大人たちが喜んでくれて、それだけでも十分なのにお小遣いまでもらえた。
このお手伝い経験が俺の宝になっている。

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