『峠』(中)

時勢をこの目で見るため少数精鋭で京都に向かい、鳥羽伏見の惨状を受けて江戸にもどり、江戸の藩邸整理までを描く。

福沢諭吉との会話に、河合継之助の保守的な越後人格がよく表れていると思う。
先見の明があって人望もあって知略もあって明快で、幕末の動乱をまとめていく宰相のような器になりそうだが、肝心の最終決断は「長岡藩だけのことを考える」という。
もっとも時勢の主導権は政治も軍事も常に東海道上を行き来しており、それより北エリアが舞台になることは不可能だったわけだが。人口、情報、物流、気候 といったあらゆる条件で東海道しかありえない。
それは戦国時代に上杉が天下をとれなかったことがわかりやすい答えなのかも。

良かったセンテンス
・殿様という暮らしのなかからは英明練達の政治家はうまれない。
・こんな五月人形のような具足をかぶって武士だ武士だと言ってる限り、日本国も長岡藩も数年を出ずして滅亡だ
・倫理道徳は時勢によってかわる。
・死も生も自然の一形態にすぎず、一表現にすぎず、さほどに重大なものではない。
・風雲のなかに独立すべし。
・藩のためにもなり、天下のためにもよく、天朝もよろこび、幕府も笑い、領民も泣かさず、親にも孝に、女にももてる というような馬鹿なゆきかたがあるはずがない。
・かれらが斬りかかってくればおとなしく斬られよ、死ね。
・俺に退屈などあるか。
・戦わなくてもよろしゅうございましょう。戦う戦わぬということでなく、戦えば必ず勝つ態勢さえととのえれば物事は諸事うまくゆくものでございます。
・涙という、どちらかといえば自己の感情に甘ったれたもので難事が解決できたことは古来ない。一藩を宰領してゆくのは涙ではない、渇き切った理性であるべきだ。

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