朝起きると毒虫になっていた主人公、グレゴール。本人と家族の葛藤を描く。
いろんな見方ができる。
たとえば、ひきこもり。家から出ず社会に適合できなくなり、家族の経済援助がなければ生きていくことができない。
たとえば、障碍者。心身いずれかが健常でなく、四六時中誰かが面倒を見なければならない。
たとえば、定年後の父親。家に居場所がなく、家族もどう接したらいいかわからない。
たぶん、そういう類の比喩なんだと思う。100年前からそういう視点はあったんだろうか。
グレゴール本人が困惑してる感じじゃなくて、即座に何となく受け入れてることや、どれだけ家族に冷遇を受けても彼らのことを悪く思う描写がないことには、リアリティがある。
一方で家族は、全く受け止めきれずにいる。「どうしてこうなったのか」を考えずにはいられない。
人は受け入れがたいどん底が刻一刻と近づいているときに最も苦しく、そこに落ちた後は次のことを考えることができる。周りは可愛そう可哀そうと言うが、本人はいつもいつもそう悲観してるわけでもない。そんな毎秒自分を憐れんでいては心が持たない。
最終的に妹グレーテの「もう十分面倒を見た、誰も私たちを責めない」との言葉と、その言葉を待っていたかのような父親の描写は良かった。
家族と言えど、すべてを受け入れることはできないし、誰が悪いわけでもない最期ってのはもちろんある。
我々はどんなことでも理由や原因がないとダメなんだと教えられてきた。
誰かが悪いはず、何か原因があるはずだと。だけどもっと大昔ってのは、よくわからないことに直面しては解釈や信仰で生き残ってきたのだから、とりあえず都合よく解釈して前に進むってのはもありだよね。
原作を読んだ後、映画も見た。グロかった。よく映像化したな。