どうしても答えが欲しいらしい

やってみるまでわからないことって、たくさんあると思う。
大人の社会だって、「わからないからやってみる」ことだらけ。いやむしろ、大人の社会だからこそ失敗して明らかなことを少しずつ掘り進めて、世界を広くしている。
だけど、自分の周りの大人たちは、どうやら「答えがないとできない」らしく残念だ。

新しいやり方に対して「絶対に大丈夫なの?」「失敗しないよね?」と聞いてくる。
自分がわからないものだから、「答え」が欲しいらしい。
怖いから、極めて発生率の低いリスクをさも自分だけが思いついたような顔で指摘してくる。
(たとえば、飛行機に乗ろうとしてる人に、墜落したらどうするの?というように。)

自分の上司も部下も、わからないことが心配で心配でしょうがないらしい。もはやかわいい。
今までずーーーっと前例踏襲のビジネスモデルだから、過去がどうたったか、今までどうやっていたか、昔はどう困難を乗り切ったか、昔がどれだけ栄光に輝いていたか、そればかりが議論の中心になっている。日本昔話よりつまらない。

最近は、昔話が始まったら脳がサスペンドして何も入ってこない免疫システムを手に入れた感がある。それくらい自分にとってはどうでもいいこと。

ちょっと前までは、それに対して理知的に説得にかかったりもしたが、もうあきらめた。
「結果はわかりません。しかし結果がすべてと考えていただいて構いません。」とだけ言うことにしてる。意外とみんなこれで黙る。ぐぬぬっ生意気な。って感じだと思う。

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