謙虚で、人の話が聞ける。それだけでいいと思った。
診断士登録に向けた実務補習の目前で、チームメンバーとウェブ会議で集まった。
自分は補習には意欲的に取り組みたいと思うものの、初めましての人と突然チームプレーするってのは、とんでもない馬鹿がいるリスクを考えるとちょっと憂鬱だったりもした。
だけど、集まった4人はみな謙虚で、人の話が聞ける方達だった。
なるほど。やばそうな奴はここまでの試験過程でちゃんと振るいにかけられるんだなと安心した。ペーパー試験だって捨てたもんじゃない。少なくとも、自分で決めた目標に向けて必要な作業を遂行し、先人が積み上げた知恵を学ぶ意欲(か自制心)があるんだから、謙虚で人の話が聞ける土台があるんだろう。
採用活動なんかで未だに学歴が幅を利かせてることもうなずける。
何歳になっても謙虚でありたいと思うのに、気づいたら傲慢に仕事をしているなぁと反省もした。長年働くこの職場では、何でも知った気になって、有能感、全能感が表出してしまって、本当に良くない。
無論、同世代の周りの人と比べると知的好奇心は強いと思うし、それらを知らないまま通過することもできないタイプだが、人から学ぶシーンがないために謙虚さはなく横柄になってしまっている。謙虚さを演じることはできても、「所詮はあとで自分で納得いくまで調べるだけ」と思ってるふしがある。また、その感じは表に出てる気がする。むちゃくちゃ嫌な奴。
もし仮に「無知であればあるほど横柄になる、謙虚な人ほど有能」的な理論が科学的に立証されると、世界は変わるかもしれない。
横柄なおっさんや老害がいれば「彼は無知だからしょうがない」と納得できるし、逆にいつも謙虚な人の周りには人や金が集まることになる。
今は悪いことに、「有能で横柄」が結構いるし、「無知は黙ってろ」(=謙虚にしてろ)的な風潮もあるから、結局は横柄が世界を作ってるようにも見える。
生きながらえる意味はわからないが、歳を追うごとに謙虚さと好奇心は拡大していかないとな。