花粉症という宿命

春になると目がかゆい。これは花粉症なの?

これに関しては数年前から患っているものの、日常生活や仕事に支障はないのでガン無視を決め込んでる。

僕は兄のひどい花粉症を知っているので、この程度のことで花粉症だなんて100万年早いことは理解しているわけだが、ここ数年はもう毎年この時期になると両目頭を指でぐりぐりしながら、目を真っ赤にしながらPCをしており、またそうした行動が時には症状を悪化させながらも、「まだまだ序の口よ」と言い聞かせて過ごしていることも自覚している。

だからと言って、一日中症状が出ているというわけでもなく、気になって目をぐりぐりし始めると余計かゆくなってそれを続けてしまうのだが、一度気を紛らわすことができればその症状が長く継続するわけでもない。つまり、自分の場合は気持ちの問題的な要素が多分に影響している。

しかしながら、この時期になると必ず来るということは、全部が全部気持ちの問題ではなく、外部環境が少なからず影響していることをそろそろ認めてもいいのかなと思っている。春に発症するということは、スギ花粉ということになるんだろうな。

スギにやられる日本人の宿命感、嫌いじゃない。言わずと知れた世界一の木造建築の技術を持つ国家において、そこで最も多く使われているのがスギであって、ときにスギの芳醇な香りに癒されながらも、春になると国民総出でスギ花粉に疲弊するみたいな。こんなん宿命中の宿命でしょ。

自由を求めたアメリカ人が自衛の意識から世界最強の銃という武器を開発できるようになって、それが普及したことによって銃による死者数も世界一という。これも宿命よ。

宿命とともに生きる、尊い・美しい。俺も今年から花粉症という宿命に仲間入り~。

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