読書時間が皆無になった

これは困ったな。出張先にKindleを持ち歩くのが少し面倒で、家に眠ってる。
読書でなくても情報収集はできるし、さくっとサマリーを入手するならYouTubeのほうが優れているので、それでもいいかと葛藤している。

中学時代の国語の先生が、「読書にはお金と時間がかかるが、読書しない人生はもっとお金と時間がかかる」と言っていたことを思い出す。

しかしここでの読書ってのは手段の話であって、この金言においては「情報収集」に置き換えて差支えないだろう。当時は確かに情報収集といえば「読書」一択だったわけで。

YouTubeの本要約系とかビジネス系の情報は、よくまとめられた概要版をインスタントに情報収集できてそれはそれでいいのだが、右から左へ抜けているようにも感じる。いや、視聴しているときは決して抜けているようには感じないが、数日前に見た情報を思い出すには至らないといった感じ。だから、受動的なコンテンツはそこまでなのかもしれない。

一方で、もう20年以上前に見たドラゴンボールのトランクスが初登場するシーンは鮮明に覚えている。彗星のごとく現れてフリーザを真っ二つにするアレ。それまでのアニメでは見たことがないようなカッコイイ演出に息が詰まった。受動コンテンツだろうとなんだろうと、自分の感情が動く体験がなければ記憶に定着しないんだ。

もしかすると、本なのか動画なのかはあまり関係がなく、情報の入手のしやすさ(しにくさ)が感情が動く体験に影響していて、今やどんなハウツーでも秒で入手できるようになったことこそが、右から左へ抜ける感覚の要因なのかもしれない。だって覚える必要ないんだもん。

国家機密でもない限り一部の人だけが知る圧倒的な情報はなくなったし、自分だけが早めに入手したと思った情報も瞬く間に広がるのだから、そのタイムラグを許容できるのであれば読書も勉強も必要ないのかもしれないな。

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