すごいわかる。今35歳になって、やっても意味ないかも、時間のムダかもと思うことが増えた。
だけれども、大前提として、人ひとりの人生に意味なんてない。どんな偉人もどこの国王も、せいぜい100年生きて死ぬだけ。地球の歴史から見たら一瞬の一瞬。100歳まで生きた人も5歳で死んだ人も、死ねば終わり。
そう考えると、「やっても意味ない」と最もらしく言い聞かせて、「自分は意味のあることに傾注しているんだ」と一生懸命自分を錯覚させてるだけなのかもしれない。
というか、「意味」ってなんなの。
たとえば、こんなブログ、書いてて意味あるんだろうか?
一定数の視聴者がいるから意味があるのか、あるいは大した収益も発生してないんだから意味がないのか、書いてる俺が満足しているから意味があるのか、死んだら終わりだし意味がないのか。
考えれば考えるほど、「意味ないかも」と思う理由は百でも千でもあげられそう。
意味の有無を考えなくていいほどの、習慣化した状態に持っていきたい。
「思考」はまさにそれで、物心ついたときから誰しも自分で考えることを無意識にやっていて、あとになって「あの考えは意味がなかった」と考えることはあっても、考えてる時間と意味の有無を検討する時間が真に入り混じることはない。
意味の有無を考える隙間を与えないほどルーティーンが増えたら、幸せかもしれないなー。
逆に、なかなか習慣化できないことはさっさと切り捨てないと意味の有無地獄に苦しむってことかー。